【映画】三度目の殺人

あらすじ
弁護士の重盛は、ある殺人事件の弁護を担当する。以前にも殺人で前科がある被告人の三隅は犯行を認めており、被害者は三隅の勤めていた工場長だった。金目当ての犯行と供述しているが、三隅の話は話す度にころころと変わる。裁判に勝てるのであれば、真実はどうであれ関係が無い。そう考えていた重盛だが、三隅と、被害者の娘である少女と関わっていくうちに、真実を知りたいと思いはじめる。
 
 
この映画を通して監督が伝えたかったことの一つ目は、"本人の意志とは関係なく、理不尽に命は選別されている"こと。
三隅の殺人の理由は、個人的で明確な殺意というよりも、悪いことをしていない人でも理不尽に命を奪われる世界の中で、明らかに死んだ方がいいような人間が生きていることが許せない、というものだ。それは三隅自身も含んでいる。3人もの命を奪った自分自身が、なぜ生きているのか。いつか裁きが下るのであれば、それはいつ、誰から、どんな風に?
三隅は、自分から裁かれることを望んでいたに違いない。死刑こそが、目に見える形で、"命を選別される"ことである。三隅はそれを望んでいた。「三度目の殺人」は、三隅自身の死であった。
 
 
 
二つ目は、真実は見る人によって変わってしまうということ。
真実はどうであれ、"三隅を庇おうとした咲江を、三隅がさらに庇った"と解釈したのは重盛だった。おそらくそれは、重盛の希望であったに違いない。重盛が真実を知ることはないし、それぞれの視点から見る真実は異なっている。
この話では、誰もが嘘をついている。
重盛の娘人は簡単に嘘泣きをしてみせた。しかし、あれこそ演技ではない本物の涙だったかもしれない。逆に咲江は重盛に完璧な涙を見せた。しかし、あれが偽物の涙であった可能性もある。
咲江の三隅に対する思いは、まっすぐであるように見えた。「このまま真実を語らない方がよっぽど苦しい」と言った。しかしもしかすると、初めからこの殺人は咲江によって仕組まれたものだったかもしれない。三隅は本当に罪を犯していないかもしれない。
 
結局、真実は誰にもわからない。
役所浩司のサイコパス演技は最高だし、福山雅治の肌感はえろい。